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- Worker Profile -

  <ホリスティックセラピスト>

 クラシカルホメオパス
 キネシオロジスト
 フラワーエッセンスプラクティショナー
 プラニックヒーリングプラクティショナー
 アカシックレコードリーダー
 心理カウンセラー

赤石 裕子   -Yuko AKAISHI-

1972年生まれ。
若い頃から患っていた子宮内膜症を補完療法によって克服したことをきっかけに様々な療法を学び、

2005年よりホリスティックセラピストとして活動を始める。
その後、様々なテクニックを総合的に活用し、潜在意識と顕在意識の統合性を図るオリジナルセッション

「ペルソナバランスヒーリング」を構築。

生まれつき体の弱かった息子のケアを模索していた中でホメオパシーを知り、

2005年IACH日本校(現FCH JAPAN)に編入、

脳外科医でありクラシカルホメオパシーの第一人者として25年以上の臨床経験を持つDr.ロバート・ハシンガーに師事。

息子のケアで実践を積みながら2008年にIACH本校の卒業試験によりディプロマを取得。

Dr.ロバートのアシスタントとして長年彼のクライアントのケアにも携わっている。


育児にホメオパシーを活用してきた豊富な経験から母子のクライアントも多く、

ホメオパシーの考え方を活用したストレスフリーな育児をサポートしている。

ホメオパシーやヒーリングに関しての講座・講演なども多数。

~Diploma・Certificate等(抜粋)~

Touch For Health レベル4修了

パシフィックエッセンスプラクティショナー

プラニックヒーリングサイコセラピスト

IACH日本校プロフェッショナルコース卒  IACHギリシア本校ディプロマ取得

日本プロカウンセリング協会  1級心理カウンセラー

愛知ソニアのMAO・アカシックレコードリーダー認定コース   ほか

ピンクの蓮の花
<Message>

この道に入って早20年が経とうとしています。

最初はまさかこんな風にたくさんの人の相談に乗るようになるとは思いもしませんでした。

自分の病気と息子の病気を目の前にして、

西洋医学だけでは限界を感じ、「どうすればいいんだろう」と探求し始めたのが始まりでした。

そもそも私自身は、10代の頃から重い子宮内膜症を抱えていて、

西洋医学では「治る病気」としては考えられてなかったということもあり、

「どうしたらやりすごせるか」ということだけを考えて生きてきました。

もちろん、なぜそのような病気に罹ったのかなどと考えることもなく、

その状況から何かを学ぶこともなく時が過ぎてしまっていました。

一方息子は、妊娠中に私の体調の影響を受けてしまったことがきっかけで、

生まれた時から体が弱く、頻繁に色々な病気に罹り、毎日何らかの薬を飲む生活が続いていました。
幼稚園の頃は、週の半分は病院に連れて行くような生活が続いていました。

こちらの病気が治ると今度はあっちの病気に罹り、いたちごっこのようなことを繰り返す中、

私の中で「病気」や「治療」というもののあり方に対する疑問が少しずつ大きくなっていきました。

原因不明の熱が続いたこともありましたが、その時に「薬の飲みすぎですね」と言われ、

『医者に出されたものを与えていただけなのに』と、すごく納得のいかないものがあったこともありました。
 

ただ薬を飲ませ続けることに違和感を感じるようになり、

体も心も、生体を全体としてみて、本当の意味で癒してくれるものはないのか、と思ったことから、

ホリスティックな治療法を模索することになりました。

 

そしてまずは自分の内側と向き合って、バランスを取ることを続けていたら、

長年抱えていた病気(子宮内膜症)が1年くらいで治ってしまったのです。

病院からは「子宮と卵巣の摘出」を勧められていたはずだったのに、です。

 

まるで狐に包まれたかのような感覚の中、

『身体の病気は内側の状態の反映に過ぎないのだ』ということを実感することとなりました。

それならば、生まれてからほぼずっと何らかの薬を飲み続けていた息子に、

せめて薬が必要ない生活をさせてあげたいと思いました。

当初はただそれだけだったのです。

プロになることなどまったく考えていませんでした。

でも、人生とは不思議なものです。

そんなつもりはなくても、「そっちの方」へとどんどん進んでいくことがあります。

今までの人生のなかで、やりたいと思ったけれどもうまくいかなかったことはいくつもあったのに、

今回はやろうとは思っていないのにどんどん「やる方向」へと状況が動いていき、

気づけばお仕事としていろいろな方のご相談に乗るようになっていました。

戸惑いながらやっていた時期もかなりありましたが、

ある時に「今回の人生は、これをやりに来たのかも」と、腑に落ちました。

受け入れられるかどうかが、私の中での課題だったのだと思います。

とはいえ、ここまでくるのには簡単な道のりではありませんでした。

ヒーラーとかセラピストというと、聞こえは良いかもしれませんが、

実際にはそうキラキラした良いものではありません。

人から悩みを相談され、そこに一定のアドバイスをするという仕事は、

人一倍自分自身と向き合い、自分自身の問題に取り組んでいなければ続けられない仕事であるということを、この20年間で何度となく思い知らされました。

同業者で長く続けられずに辞めていく人、病気になって辞めていく人もたくさん見てきました。

クライアントに見せる自分と本当の自分が乖離していき、

結果として病んでしまうということが、大きな要因の一つだと感じています。

おこがましいですが、

私がこの仕事を続けてきた20年間は、

『(仕事として)やるからにはまず自分のことをやるしかない』と覚悟を決めて、

自分自身と向き合い続けた時間でもあるのです。

私のホメオパシーの先生であるロバート先生は、

それを「リスクを取ったかどうかの違いだ」と言いました。

自分が変わるために、どれくらいの勇気をもって自分と向き合ったか、ということ。

それは簡単なことではなく、そこには不安や恐れ、そして勇気を伴うからこそ、

先生はそれを「リスク」と言ったのだと思います。

本気でそこに飛び込んだかどうかで、結果は大きく変わります。

それを知っているからこそ、この取り組みはこの仕事を続ける限り終わらないと思っています。

優しくて気持ちの良いだけのヒーリングでは、本当の癒しは起こりません。
乗り越えるには少し時間も忍耐も必要ですが、

​それを実体験しているからこそ、ご相談に来てくださった方に寄り添えるのだろうと感じています。


厳しい職業ではありますが、

少しでも多くの方々のお手伝いができるよう、

これからも学びを続けていき、成長していき、

ご縁のあった方々に働きかけていくことで、

私のここまでの道のりを助け、関わってくださった多くの方々に対し、

少しずつでも恩返しできますようにと願っています。

2024年2月 ホームページリニューアルに寄せて  

​赤石 裕子   

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